駅からの流れ世見
最近少しだけ、勉強から離れてみた。といってもまったくやらないわけではなくやる時間を少なくしただけのこと。そうしたら、なんとなく気が楽になるような気がした。今までつめすぎていたのかもしれない。そろそろ夏休み終盤。気合入れて頑張ってみましょうか。
今日はなんとなく、友達と高崎までお買い物。洋服見たり、おっきなスーパーに入ってみたり、帽子かぶって遊んでみたりしていました。他にはゲーセンにはいって友達に教えてもらいながらギルティギアをやったり、ドラマニやギタフリをやっていました。ギタフリは途中で手が痛くなりつらく、指がつりそうでした。たまにはこんなことをするのもいいかと思う。友達と町に出て遊んでみるのもいいと思う。しかしその反面、大勢の人がごった返している駅を見るとなんとなく気持ち悪くなる。なんでだろうか・・・・・
ついでに購入ものはCD4枚ほどと漫画一冊。たまに買いたくなるこの一冊。んー、やっぱり多少は癒される。後はちょっとヒステリックでハードな東方BGMで決まりです。タイトルに英語や漢字が多いと思われるこの曲。やっぱりいいです。惚れます。全部しっかりきかな〜
狂い気の多い洞察眼
大学を見に行ってきました。といっても2日前の話です。
最初は一人どきどきしながら入っていきましたが、すぐにどきどきはなくなりました。説明会場まで来ると、多くの人がすでに座っているんです。もう少し早く行って、聞きやすい場所をとればよかったとそのとき思いました。
説明が始まって数十分が経ったころ、私は周りをとりあえず見てみたのですが、寝ている人、話をしている人が多くいました。確かに学校の敷地の説明とかはつまらない。しかし、せっかくここ、群馬大学まできといて寝るとか、しゃべるとかは普通しないんじゃないかと思いました。それを見ていて感じたことは「このくらいの時間はしっかりと説明聞くとかできないのかな、ましてや高校2年が中心のこの説明会でおしゃべりとかあっていいのだろうか、でも高校一年にしてもこのくらいは普通なのではないか」と思いました。その説明が約1時間10分くらい、そのくらいの間、しゃべらないとかできないのでしょうか。
その説明が終わり、お昼ごろ、私はお昼も食べずに購買で本をずっと立ち読みしていました。大学の購買には教育学とか色々な学問のものが売っているらしく、色々楽しめました。40分近くは時間をつぶせたと思います。
1時から教育学部の説明があるというので行ってみることにしました。このあたりの話は比較的面白くて、教育学部の中にある色々な学科の細かい説明やどんなことをするかについてを聞きました。最後に大学生の人たちが経験してきた話も聞かせてもらったので、それはそれでおもしろかったです。
最後に模擬授業を受けましたが、私が取ったものは国語でした。「絵から物語を作ってみましょう」といった感じで、みんなで話を作り、それを発表して感想などを周りの人から言ってもらう、そんな形式で進み、最後には作文などはどうして嫌いになってしまうのかって話を聞きました。これを聞いて、大学の講義はこんな感じで展開していくんだなと感じました。高校の授業とはまた一味違うって感じでした。
その模擬授業が終わりかえりだしたのはいいのですが、途中で頭が痛くなって、父親の会社に寄らせてもらいました。
話は変わって、今日から15日まで休みなわけですが、夏休みって感じがあまりしないです。毎日学校行っていつもと代わりがない。まぁ、この休みをゆっくりと楽しみましょうか
確かに大学院に行って勉強する方法もありだな
8月4日に群馬大学を見学に行くことになっています。なんと一年が私一人だけとの話。ちょっと虚しいな。あまり大学とかに興味を持たないのだろうか、それとも眼中にないのだろうか。それとも報告を見落としただけなのだろうか。私には良くわかりませんが、行かないのは事実。
私が行こうと思ったのは大学はどんなところだろうか、どんなことをやるのだろうか、そんなことを考えて、見学を決めました。後は自分の勉強のモチベーションを上げるためでもあります。今から気合入れすぎて、受験前には・・・・って事になっても困るのですが・・・・・まぁ、いい刺激になるでしょう。
今回の話がきっかけで、補習が終わった後生物の先生と話していたら、こんなことを聞きました「大学はこっちを専攻して、大学院に入ってこっちの勉強を専攻すればいい」その先生がそういう風にやっていたそうです。私もできれば大学院に行きたいですしね・・・・しかしながら私はまだ大学に行っていない。もうちょっと先の話だから、ゆっくり考えようかな。
[にっき][がっこう] そして誰もいなくなる?
最近、父親が病気になってすぐ怒るようになった。些細なことでも怒るようになった。少し何か言えばかみつくように文句を言うようになった。病気のせいだと思ってもちょっと頭にくるときもあるがそこは少しの我慢。言い返せばきりがなくなってしまいには喧嘩になってしまうかもしれないし、暴力を振られるかもしれない。でも私の少しの我慢でどうにかなる。ましてや相手は病人だ。そこまで本気ならなくていいはずだと思っている。母の方も少し堪えてきているのでちょっと心配である。
学校の勉強の方は宿題を早めに終わらせる方針に向かっている。といってもまだ一つも終わってないのだけれど。一応自分が決めた期限内に終わらせると決めているのでそこまでには終わらせたい。それから自分の勉強でも何でもやる。多少期限を決めてやってみるのもいいかもしれない。今まで経験のなかったことだから、少しずつでもなれて高3ではしっかりとできるようにしたい。
夏休みということで何冊か本を読んでみようと思って取った一冊が実は女性向けだった。というよりも母親向けと感じる本です。
- 作者: ロニコーエン=サンドラー,ミシェルシルヴァー,堀田あけみ,Roni Cohen‐Sandler,Michelle Silver,桜田直美
- 出版社/メーカー: 七賢出版
- 発売日: 2000/05
- メディア: 単行本
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一学期の終わり
昨日終業式があり、一学期が終わりました。はっきりいって、すごく早い。三年間もあっという間なんだろうなぁ。
一学期の成績を見たら、ぽつぽつというか、上の方に5が固まっていた。といっても5は三つしかないのですが。中学と比べたらかなり良くなっている。中学は一回しか5をとったことがない。それに比べれば、まぁいいかな、といった感じ。苦手な数学と英語をどうにかすればもうちょっとあがるのになぁと思っているがそもそも「苦手」といっている時点で負けですかね。文字でしっかりと表現してますしね。まずそういった意識をなくすことからこの夏休みははじめよう。
一応、今回の夏休みは自分で計画表をしっかりと立ててみることに。ちょっとゆるい感じで、予定表を組んで追い詰めないようにする。無理にあわせようとすると苦しくなって崩れていくだけですし、受験のときに計画を立てる練習にもなりますので。それに加えて、いついつまでにここを終わらせるといったことも書きました。
夏休み明けは自分がどうなっているかちょっとだけ期待しておきましょう
部活等もあるので(といっても4日程度ですが)ちょっとゆるめな計画表。
一言が終わりを告げることにつながる
先日言葉の大切さ、そして相手を気づける凶器だと改めて実感しました。
いつまでもその楽しい日々は続くと思っていたのにいきなり崩れ始める。一言の言葉のせいで人生を大きく変えるかもしれない、あるいは落胆し心を閉ざし続けるかもしれない。
些細な簡単なことを私は甘く見て、あいまいなことをしてしまって、全てが崩れる寸前まで来た。自分ではなんとも考えていなくて「この程度の返事でいいんじゃないかな」程度しか思っていなかった。でも、その「この程度の返事」は相手を深く傷つけ、そして傷つけた後に大きな過ちを知る。言葉は感情、自分の思っていることを表現できる人間の技能であるけれど、それは同時に相手を傷つける道具でもある。私は大きな過ちをするまでそのことに気づかなかった。でも気づいてからでは遅い。相手は「自分はこの程度にしか考えられていないんだ」「私は別にいてもいなくても同じような存在なんだ」と思う。所詮その程度だったんだとわかり相手は心を閉じてしまう。私はその寸前まで、いや、私が相手の心を閉ざさせてしまったんだ。そう思うと「何でこんなにも慕っているのに、何で私はこんなことをしてしまったんだろう。あいまいな言葉で済ませて、相手を考えないで、何をやっているんだろう」そう気づかされる。気づいてからではもう遅い。でもやらないとそのことがわからない。
今後はもっと言葉を考えて使いたい。相手のことを考えて使いたい。あいまいな言葉は返って相手を突き落とす。
さようなら、今までの私。ありがとう失敗した私。でも最後は仲直り。ありがとう、貴方。
国語でこんな点数初めて取った
今日、期末の国語の答案が返ってきましたが、すごい点数でした。私はこんな点数を国語で見たことないです。しかも中間の生物でとった点数だったし・・・・・
国語の答案の結果は現代文50点中49点、古典50点中44点でしたがなかなかおいしいものです。古典の方は結構簡単に作ってあったみたいです。サービス問題で活用形など色々。先生曰くもっと難しくしてもよかったそうなのですが、やめたとか何とか。
二学期以降のテストからは現代文100点、古典100点にするそうなので、より難しくなっていると思います。自分しだいか。古文はどんなふうになるのかなぁ
前にも述べたのですが、個人的に古文は面白いと思います。やっぱりパズルみたいな感じがするんですよね。「この活用形だから下はこの助動詞使って、ここの助詞はこういう意味になって・・・・」どんどん文が組みあがっていく感覚がなんともいえない。日本の昔の文ですから、やっぱり日本語と同じように解釈できる。楽しいな。今年の夏休みでどこまでいけるかな。